2024/02/20

 

「ウィキッド」を観て

 

久々に劇団四季の舞台を拝見致しました。秋劇場がリニューアルされて、豪華な劇場に変身していたのには驚きました。「ウィキッド」は、もう十五前になりますか、私がディラモンド教授役で出演していたのは・・・。当時は主人公のエルファバが濱田めぐみさん、グリンダが沼尾みゆきさんでした。「オズの魔法使い」に出てくる緑色の魔法使いを主役にした、かなりアメリカ社会の深い闇を抉る作品でした。

今回は当スタジオ出身のO君のお招きで、拝見したと云う経緯です。舞台に立つ、ボック役の彼はなかなかの力演で、芝居を盛り上げておりました。彼が「横浜丘の手ミュージカルスタジオ」に来られた時は、まだ大学生で、歌もダンスもお芝居も全く経験はゼロ。あれから六年、四季に入団して、よくぞここまで成長されたと、私は驚きと敬服の気持ちで、胸に迫るものがありました。

彼の性格は至って穏当で、人から愛される優しさを持っています。当初、私はこんなにいい人柄の人物は、かえって舞台に合わないのではないかと不安を抱いておりましたが、そんなことは全くの杞憂でした。舞台と云うものは、全てを曝け出します。また、お客様も意地悪で、役者の隅々まで探ろうとします。舞台はある意味で一瞬のうちに見抜かれる怖い場所かも知れません。また、いい人間ばかりでもありません。人間の綺麗なところ汚いところ、美しいところ醜いところを映し出して、謂わば、社会の鏡にならなければ、お客様は納得しません。

今回は、愛されないで、狂っていくボックを演じていましたが、これから次の役をどう演ずるか興味津々です。

今年度はO君の後を追って入所オーディションに挑戦した生徒が十人。そのうち最終オーディションに残ったのが五人。そして合格者が二人となりました。不合格になった方と合格者の実力差は紙一重です。受験で落ちると云うことは、本当に酷いことです。しかし、考え方を変えれば、自分の青春を舞台に賭けることが出来るのは幸せです。また、よく云われますが、合格することのみが目標ではありません。入ってからどのような演劇人になっていくかが本当に大事なことです。O君は生き生きと、舞台で益々活躍して頂きたい。そして我々のお手本を見せて下さい。

 

岡本 隆生

2022/12/22

 

横浜丘の手ミュージカルスタジオは十周年

 

来年、「横浜丘の手ミュージカルスタジオ」は十周年を迎えます。これまでご支援を賜りました皆様方、先生方、卒業生達とそのご父兄の方々、そして今なお切磋琢磨し日々努力しておられる生徒たち、お父様お母さま方に心より御礼を申し上げます。

さて、十周年を記念にして選んだ作品は、ハンス・クリスチャン・アンデルセン原作の「スノー・クイーン(雪の女王)」です。この作品は、ディズニーの「アナと雪の女王」で余りのも有名になりましたが、私たちの作品はアンデルセンの原作をかなり忠実に描いております。

ある日、魔王トロルは一つの不思議な鏡を作り上げました。その鏡は、美しいものや素晴らしいものを映しても、みんなギュッと縮こまって、全く詰まらないものなってしまう。役に立たないものや、みっともないもの映すと、グーンとのさばり出してもっとみっともなくなる。こんな鏡を発見して得意げになったトロルは、天上に昇って天使たちや神様たちをからかってやることにしました。ところが昇る途中で鏡が粉々に砕け散ってしまったのです。さあ、大変です。

粉々に散った鏡の破片が、下界の少年、カイの心に刺さったのです。純真で、心の優しいカイの態度は急変します。何事も醜く考えるようになり、悪態をついて暴れ回ります。そしてそこへ、氷のように冷たい、美しい「雪の女王」が現れて、カイに催眠をかけて連れ去ってしまうのです。

前置きが長くなりましたが、これからが本題です。幼友達、最もカイを愛していた少女、ゲルダが彼を求めて想像も出来ない、何万里もの旅に出かけます。色々な艱難辛苦を乗り越えて、最後は「雪の女王」と対決して、ゲルダのあったかい心で、ついにカイを救い出すのです。

小さい時から貧乏で恵まれなかったアンデルセンは、貧富の差、人間社会の愚かしさ、馬鹿馬鹿しさをヒシヒシと感じ取っていたのですね。でも人間には何処かに救われるものがあると信じていた。氷のように冷たい世界に対して、あったかい人間性を見失ってはいけない。私たちは目標が決まれば、ひたすらそれに向かってまっしぐらに突き進んでいかなければならない。それを健気な少女、ゲルダがやり遂げる訳です。まるで、先日の日本代表のサッカーみたいですね。このように原作には見事な主題が貫かれています。

六十五年前、ジブリの宮崎駿さんが、ロシアのレフ・アタマ―ノフ監督のアニメ、「雪の女王」を見て、いたく感動したそうです。彼がアニメーターになる切っ掛けが、その「雪の女王」だった。その後の宮崎さんのご活躍は皆様ご存じの通りです。

演出は岩本視加、ダンスは下道純一、阿部彩乃、歌唱指導は深井えみこ、当スタジオの若手講師陣が担当します。是非、皆様楽しみにして下さいませ。勿論、今後とも私共はオリジナルミュージカル作品、「写楽せぃ!」や「鬼の橋」。そしてストレート・プレイでは、ジャン・ジロドウの「間奏曲」などドンドンと公演して参ります。どうぞ、これからも何卒宜しくお願い申し上げます。 みなさまよいお年をお迎えください!

 

 

岡本 隆生

 2022/3/14

 

人類の叡智は終わったのか?

 

「ジークフリート」の稽古始めが三月五日(土)でした。

ロシアがウクライナへの残虐な侵攻を始めて、既に一週間以上が過ぎていました。

「ジークフリート」は1929年にジャン・ジロドウが初めて書き上げた処女作です。彼はフランス人でありながらドイツ文化をこよなく愛した作家だった。ドイツと戦いながらジロドウは、両国の平和を心から願い続けてこの作品を作り上げた。今からほぼ百年前の作品ですが、私たちはこのジャン・ジロドウのテーマを、敢えて今この時期に祈りを込めて上演しようと思います。

1945年8月6日、広島の上空にB―29が現れ、ウラン320のリトルボーイが落とされた。当時35万人の人口のうち14万人があっという間に亡くなりました。8月9日、やはりB―29が長崎に現れ、プルトニウムを積んだファットマンが落とされた。人口24万人中、7万人近くが即死しました。また、東京大空襲、全国の無差別爆撃が1944年9月から9か月に及んで、死者は東京が10万人以上、全国の死者をいれると数え切れないと思います。未だにアメリカは落としたのは自国の米兵の命を守る為と云って正当化しています。戦争が起きた経緯はともかくも、アメリカは未だに謝罪はしていない。全く無辜の民間人が大勢無惨に死んで行ったにも拘わらずだ。あれから僅か80年足らず、ロシアが非人間的蛮行をまた繰り返すとは誰が想像しただろう。

涙でしゃくり上げながら「死にたくない」と呟く幼子、「嫌だ!パパ」と戦場に行く父親と離れるのを拒む少年、祖国防衛に行った恋人を思って嗚咽する女性、担架の上で子供が生まれそうな妊婦を「生きるんだ!頑張れ!」と励ます兵士たち・・・・生生しい映像はいい加減なフィクションよりはるかに我々の心に迫って来ます。しかし、私たちは無力、80年前に経験したこともすっかり忘れてしまっているかのようだ。日本の首相はウクライナ支援を打ち出してはいるが、果たして嘗ての日本が民族絶滅の危機を経験をしたことを理解しているんだろうか?核の悲劇を受けた、我々は最初の被爆国です。アメリカ、ヨーロッパに追随して、出方を何時も無難に図ろうとする態度は見苦しい。プーチンが核を口にした時、直ぐにでも国々の先陣を切って平和な世界を目指すべくリーダーシップを取って核廃絶を唱えるのが、唯一被爆国のあるべき姿なのではないだろうか?

さて、コロナウイルスの影響で私たちの「ジークフリート」は去年の1月、8月と二回も中止に追い込まれました。この芝居は丁度今から百年前の話ですが、何ら今の時代と変わりがありません。寧ろ「ジークフリート」の時代の方がより人間的だと思います。私自身、この三週間の間に世界観が変わり、人類の叡智は終わったのでないかと思っています。

 

私たちは、心からウクライナの平和が訪れて来る事を願って止みません。キーウの美しい芸術の町そして森がまたそっくり再現できる日を切に祈っています。

2021/10/8

 

「サマー・オブ・ソウル」を観ましたか!

 

絵本作家の長野ヒデ子さんから「サマー・オブ・ソウルを観なさい!」と度々LINEをいただき、渋々横浜まで観に出かけた。豈図らんや、映画を見始めるや否や、私はその映像に釘付けになりました!私にとってこれ程感動して心揺さぶるものは久しくなかった。長野さんに感謝!感謝!

その映画は、今から五十年前のニューヨークのハーレムで催された、黒人たちだけのジャズ・フェスティバル。出演者は若きスティービー・ワンダー、フィフス・ディメンション、BBキング、メイヴィス・ステイプル、ゴスペルの女王マへリア・ジャクソン、ニーナ・シモン・・・・等の錚々たる顔ぶれ。彼らの心の底から迸るパッション、人種差別に対して怒り、憎悪を超えて、連帯感を求めるエネルギッシュな歌唱力。そして「自由」と「希望」を求めて止まない姿勢に、ついに私の心は震えが止まらず涙が出て来た。監督はアミール・クエストラブ・トンプソン。彼いわく「当時、黒人たちの暴動をさせない為にこのフェスティバルが行われた」つまり、黒人たちを大人しくさせる為、ニューヨーク市が考えた策略だったらしい。しかもこの貴重なフィルムは日の目を見ず、五十年間も埋もれていたのだ。

私はこの映像を観ながら、自分自身を顧みずにはいられなかった。五十年前の日本もあの時、七十年安保闘争、学園紛争・・・色んな所で火の手が上がり、若者や大人たちが「日本をどうするか?自分たちの学校をどうするか?社会をどうするか?」仲間たちと激しく議論しながら燃えていた。

演劇も負けてはいなかった。アングラあり、小劇場運動あり、新劇の御三家(俳優座、民芸、文学座)は御盛んで、色んな場所で多種多様な演劇が生まれ、激しく燃えていた。例えば、新宿の映画館で夜九時頃から始まる芝居、清水邦夫と蜷川幸雄が組んで創った「真情あふるる軽薄さ」、エドワード・オルビ―の不条理劇、「動物園物語」等に私は震撼させられ、ノックアウトされた。未だに私が芝居に関わっているのも当時の熱い舞台に影響されたからだと思っている。

「サマー・オブ・ソウル」を観て、五十年前の自分がどんなだったか蘇ってきたのである。真の芸術に触れると、新たな火を心に灯してくれる。是非、皆様に「サマー・オブ・ソウル」をお勧めします。

 

 

2021/1/12

 

「ジークフリート」の公演延期について

 

 

昨年の春から、演劇界に新風を巻き起こそうとじっくりと稽古を進めて来た「ジークフリート」の一月八日の公演は、コロナウイルス感染拡大のため、断念せざるを得ませんでした。充実した熱気のある稽古で、仕上がりも手ごたえを感じていただけに、皆様に御覧頂けなかったことは本当に慙愧の念に堪えません。また、チケット販売等、皆様にお気使い、ご心配をお掛け致しました事、深くお詫び致します。

 

しかし、「ジークフリート」はこれで終わった訳でなく、感染拡大が収まり次第必ず公演致します、勿論、同じメンバーで。

 

何の不安もなく、平和な春を、夏を、待ち遠しく感じた年は経験したこともありません。家に閉じこもり、たまに外に出る時は、マスクをして出来るだけ人との会話をしない。イベント、スポーツ、芸術鑑賞も出来るだけ差し控える。つい一年一寸前では誰が想像したでしょうか?先日、イタリアに住んでいらっしゃる、塩野七生さんがNHKのインタビューで「・・・これまでヨーロッパの歴史上、疫病が流行したことは何度もありますが、直ぐには収束しませんでした。・・少し日本人は完璧を求め過ぎるのではないでしょうか?・・・」と仰っていました。毎日、マスコミ界では似非評論家たちが「ああでもない!馬鹿だな、こうすればいいのに!政府の対応が遅すぎて、無能だ!」と喧しく叫んでいます。私も嫌いではないので最初はよく聞いていましたが、些か辟易して来ました。このままの状態が続くと、疑心暗鬼で人間不信に陥ります。いや、もうそうなっているのかも知れません。

 

人に何かを伝える為には、目だけでは難しく、口元や、顔全体、身体全体の表現が必要です。喜びを表す為、或いは別れを惜しむ時、外人はよくハグをします。私もハグをしますが、一瞬の躊躇いが頭をよぎります。早く自然な人間の営みに戻りたいものです。

 

お芝居は鏡のように社会の実相を捉えて、お客様に「ああ、こうすればいいのか?親子の関係は?社会との付き合いは?恋をすることは?或いはその別れは?・・・」と気付かせて、感動を与えてくれます。早くまともな世界に帰って欲しいと切に思うこの頃です。

 

2020/5/3

 

「ジークフリート」が書かれた背景

 

 

ジャン・ジロドウとルイ・ジュヴェが初めてタッグを組んで舞台になったのが、1928年の「ジークフリート」だった。当時の時代背景を調べると、如何に厳しい激動の時代だったかが分かります。1929年の世界大恐慌の前年、「ジークフリート」初日の幕がパリで開いた。この時の世界動向に目を移すと、ドイツでは既にアドルフ・ヒットラーが1920年に「国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)」を結成している。第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約(ドイツのGNPの2倍半の賠償額を支払う条約)に反対してドイツ国民の不満は爆発寸前だった。この条約と大恐慌が絡み合って比類なき残虐な独裁者、ヒットラーを生み出した。1933年にはヒットラーは内閣を手中に収め、そして1939年にはヴェルサイユ条約を破棄して、ポーランドへ侵攻し、第二次大戦の火蓋が切って落とされた。

 

ジロドウはこの間、1924年にドイツ大使秘書官としてベルリンに赴任している。そしてフランスに帰り、俳優兼演出家のルイ・ジュヴェと歴史的な出会いをする。彼の助言のもとに46歳にして初めて戯曲を書き始めたのだ。前述の「ジークフリート」然り、1933年の「間奏曲」、1935年に「トロイ戦争は起こらないだろう」をルイ・ジュヴェ劇団のコメディ・デ・シャンゼリゼ座の為に書いている。また戦争勃発時に代表作「オンディーヌ」を書いて、ゲルマンの森にひそむ水の妖精「オンディーヌ」と騎士「ハンス」の純粋無垢な、美しい男女の愛の傑作を書いたのである。本来ならこの時に敵国であるドイツのゲルマンの世界を舞台化するのは尋常ではない。ジャン・ジロドウはフランス人でありながら隣国ドイツをこよなく愛していたことが覗われる。彼は当時のタラディエ首相に請われ、ドイツと戦う為に情報局長になっている。その後地下に潜り、1940年から1944年までレジスタンスとしてフランスを守りながら、「べラックのアポロ」「ソドムとゴモル」を書き、1944年、終戦間際に「シャイヨの狂女」を書いて、この天才は息を引き取ったのである。1945年、ルイ・ジュヴェは南米から帰国したが、ジロドウの死に目には会えず、この貴重な遺作、「シャイヨの狂女」を花向けに素晴らしい公演したと云う。ジャン・ジロドウが戯曲を書き出して、僅かたった16年間の歳月だった。

 

ジャン・ジロドウの偉大さは、社会や戦争の荒波と闘っただけではない。当時のフランス演劇はラシーヌやモリエールの古典悲喜劇の桎梏から脱却して、象徴的演劇、ロマン派の演劇が出てきたが、何といっても自然主義を唱えたアンドレ・アントアーヌだろう。北欧のヘンリック・イプセンの影響などもあって(舞台に実人生の断片をのせる)と言って彼は「自由劇場」を作った。またその思想を継承して自然主義に文学性を取り入れたのが、ジャック・コポーたちである。コポーの存在は大きくフランス演劇界に衝撃を与えた。彼の影響を受けたのがルイ・ジュヴェであった。しかしジュヴェは反自然主義、反商業主義を唱えて、コポーたちから袂を分かつことになる。そんな時にジュヴェは一人の芸術家と出会う。ジャン・ジロドウである。二人は理念もドラマの作り方も共通するところが多かった。ジロドウの演劇論は「実人生の写実でもなく、リアリズムだけでもなく、詩情的で、文学性があり、芸術的なものでなければならない。日常の細々としたものだけを追求するのではなく、宇宙的な広がりを舞台に求めた。そして舞台空間は霊感を秘めた場所となって観客を喜ばせなくてはならない」と持論を説いた。

 

こうした二人の関係も束の間で、1944年ジャン・ジロドウは66歳でこの世を去った。ジャン・ジロドウがルイ・ジュヴェと一緒に創り上げた16年間は短かったが、永遠に残る名作を私たちに残してくれたのである。

 

ジャン・ジロドウ、ルイ・ジュヴェたちは凄まじい時代を生き抜いて、これだけの名作を世に残した。

 

私たちは、ジャン・ジロドウの「ジークフリート」をミュージカルで公演する予定です。余程の覚悟を持って取り掛からないと名作を汚すことになる。少なくともジロドウが書いた「言葉の芸術」を表現できたらと、肝に銘じて稽古して行きたいと思っています。私たちは、今、コロナウイルスと云う目に見えない怪物と戦っている。しかし、我々は、いや人類はきっと打ち勝つ、必ず打ち勝つ!それまで何とか生き延びなくちゃならない。辛抱強く、助け合い、耐え忍んで生き抜くことが大切です!戦い抜いた暁にはきっと、目には輝きを取り戻し、人々は笑い、喜んで、感動的な舞台を求めて集まってくるだろう!

 

2020/3/22

 

「不思議の森の三日坊主」と「ジークフリート」

 

お陰様で二月二十二日、二十三日、「不思議の森の三日坊主」の公演は無事幕を閉じることが出来ました。全国からお集まり頂き、熱心にご覧頂いたお客様にまずは御礼申し上げます。そして、この作品を高めて下さった関係者の皆さまには深く感謝致します。今回のミュージカルは稽古始めに抱いていた私の予想を、はるかに越えた素晴らしい舞台になったと思います。

 

しかし、何といっても子供たちの頑張りとお父さん、お母さんたちの情熱的なサポートだったと思います。子供たちが十か月間一生懸命努力して来たことが、あの舞台の上で見事に花開いて、キラキラと輝いてくれました。お客様もあの三日坊主の舞台を観て、きっと心から癒されたことだと思います。本当に、本当にお疲れ様でした。

 

さて、私たちはもう次回の公演企画の準備をしています。

 

ジャン・ジロドウ原作「ジークフリート」をミュージカルに致します。ジロドウ独特の格調高い、言葉の美しさは聞いているだけで心を和ませてくれます。そして素晴らしい音楽を新進気鋭の作曲家、志田佳則君が創ってくれました。

 

戦勝で賑やかなフランスと、一方では敗戦で大負債を抱えて苦しむドイツが舞台となっています。

 

第一次世界大戦、ドイツとフランス激戦の最中、フランスの新聞記者で著名な評論家だったジャーク・フォレスチエは出征するが、戦乱に巻き込まれて行方不明になる。終戦後、彼の生還を「今か、今か?」と待ち望んでいた恋人の女流彫刻家、ジュヌビエーブは、ドイツの言語学者から突然「至急、ドイツに来られたし!」と云う電報を受け取る。彼女は「もしかしてジャークの手掛かりが見つかるかも知れない」と思い、ドイツに馳せ参じるが、そこで目にしたのは、戦争で全く記憶喪失となったジャーク・フォレスチエだった。しかも彼はドイツ政府の長官として、敗戦後のドイツを救う国民的英雄、ジークフリートとして彼女の前に現れたのである。そして傍には戦争で負傷したジークフリートを支え、ドイツ語を教え、政界に送り出した、愛人エヴァが仲睦まじく立っていた。

 

常に戦争は人間の運命の歯車を大きく狂わせてしまう。・・・生きること、祖国、戦争、そして愛とは何か?・・・この作品はジャーク・フォレスチエ(ジークフリート)、ジュヌビエーブとエヴァの三人が運命に翻弄されながらも、自らの道を選択して行く、美しくも、儚いドラマである。

 

きっとジャン・ジロドウは独仏を対立軸に、男女の愛を描きながら平和な世界がくるものと祈りながら書いたに違いありません。しかし残念ながら21世紀になっても、寧ろナショナリズムが幅を利かせて横行しています。こう云った風潮には、私たちは毅然として戦って行かなければなりません。

 

さて皆様には、この「ジークフリート」によって、オーソドックスな、言葉の美しい大人のミュージカルお見せ出来ると思います。因みにこれを機会に、舞台で活躍されている、或いは活躍したい人たちも是非とも参加して頂きたいと考えています。幅広くオーディション、ワークショップをして、多くの仲間と協力して創り上げたい。ご興味、御関心のある方は、こちらまで挙ってお申し込み下さい。 noriko-okamoto@ksf.biglobe.ne.jp